—信仰によって生きる—
マリアニストの特徴と言われるものの中の一つに、“信仰”があげられます。
でも、“信仰”と言えば、他の人も持っているのではないですか?
と言われるかも知れません。確かに、そのとおりです。
わたしたちは誰でも、同じように顔には目があり、鼻、口、耳などがあります。
けれどもそれらは人によって少しずつ違っています。
そして、その違いこそが、その人らしさを表しているわけです。
同じようなことは、社会集団にも言えると思います。
では、マリアニストにとって、他の人々と区別する目鼻立ちの特徴はどこにあるのでしょうか?
シャミナード神父による“信仰”の特徴。
師は“信仰”を“生きる”こととして捉えています。
1)現実の世界に開かれた態度で生きること。
神は、この世界に様々な仕方で現存されます。私たちの隣人の中に、いろいろな出来事の中に、人間を取り巻くありふれた日常の出来事の中にも・・・。神は、どんな時、どんな所、どんな人を通してもご自分を現わし、お語りになることができるのです。ですから、わたしたちが何かに、誰かに心を閉ざすなら、それは神に心を閉ざすことに他なりません。
2)能動的な受容性
一見、矛盾するように聞こえる表現ですが、シャミナード師が言う受容性は、ただ“無為に座して待つ”と言うものではなく、丁度、電波をさがして受け取るレーダーのように、神のご意思を捜し出し、それをキャッチしようとする自発的、能動的態度を持つ受容性なのです。
では、神のご意思をどのように探知したらよいのでしょうか?
シャミナード師は、それについて、三つの方法を紹介しています。
①祈 り
師にとって、“信仰の祈り”は神のご意思を発見する有効な方法でした。師の言う“信仰の祈り”とは“神の現存”の中に身を置くこと。そして神から揺り動かされ、変化していくことに他なりません。
②助言を求める
この点についても、師はしばしば強調していました。
もし真剣に神のご意思を見出そうとするなら、そしてもし、決断を下す責任を負っているなら、他者の意見に耳を傾け、助言を求めるようにと。誰も、人の意見も聞かず、忠告や助言を求めないで決定を下せるだけの明瞭さをもって、物事を見ることはできないからです。
③経 験
シャミナード師は、神のご意思を求めるにあたって、経験を大切にし、またそれを強調しました。
確かに、人類の経験、教会の経験、先輩がたの経験などは、何らかの意義があります。神は歴史を通して、人類の積み重ねられた経験を通してわたしたちに何かを語りかけています。私たちのこれまでの経験を活用し、それに新しい洞察と知覚を加えることができたら、共同体にとってそれはどんなにすばらしいことでしょう。それは、大きな力の源になることでしょう。
以上のように、シャミナード師は、神のご意思を探求するに当たって、祈り、相談、経験を大切にするよう勧めています。そしてこれらの方法を、良心的に一貫して活用する“信仰の人”は、神のご意思を発見できるでしょうと言われます。
むすび
シャミナード師が言われる “信仰によって生きる” とは、“信仰の人となること。たとえ苦しくとも、神に向かって心を開くこと。神が私たちの内に来られ、私たちを変えられるままに委ねていること。神と私たちとの間に親密な関係を打ち立てること”にほかなりません。師はそのように生きぬかれ、また、そのような生き方を遺産の一部として私たちに残されました。
あなた方も、そのように生きなさい” と。