1. 1797年から3年間スペインのサラゴサで亡命生活を送ったシャミナード師は、1800年11月にボルドーに戻り、以前からあったコングレガシオン(聖母会)を新しい考え方のもとに再建しました。コングレガシオン(英語ではソダリティ)とは、本来“団体”とか“集会”を意味しますが、シャミナード師はこれを「共同体で生きるキリスト者の兄弟姉妹としての集い」という意味で使いました。現在私たちはこれを「信徒マリアニスト共同体」(MLC)と呼んでいます。
  2. シャミナード師が心血を注いでこのコングレガシオンの発展に努め、その会員たちの信仰を養成したのは次のような理由からでした。
    • 大革命後のフランスは、伝統的な教会制度は崩壊し、宗教に対する無知と無関心が蔓延し、日々の信仰実践も放棄された非キリスト教化された社会となっていました。大革命の期間中、教会に対する忠誠心に燃え、生命の危機に脅かされながら司祭職の務めを敢行したシャミナード師は、このような状況に直面して、フランス教会の再建に献身しようと決意したこと。
    • 大革命を生き抜いたシャミナード師は、教会を再建するためには、単に革命以前の教会に戻るのでは意味がないと確信し、新しいぶどう酒には新しい皮袋が必要であること、つまり、新しい時代には新しい制度や新しい福音宣教のあり方が求められていることに気づいたこと。
    • 「福音に生かされたダイナミックな共同体の育成」、これこそ、3年間のサラゴサでの亡命生活の間、「柱の聖母」の巡礼所で祈りのうちに受けた“霊示”を具体的に実行に移す最良の方法であると確信していたこと。それ故に、初代教会のエルサレム共同体が当時の人々に大きなインパクトを与えたように、シャミナード師は、コングレガシオンが非キリスト教化したフランス社会に対して“聖なる人々の姿”を示す共同体になることを念願したこと。
    • 「コングレガシオンは、福音とその福音がもたらす全てのものに対して証人となり、その役割を担い続ける共同体になる」ことを目指して活動する。つまり、シャミナード師は、教会生活の中に信徒の積極的な役割、福音宣教という大切な役割があることを意識していたこと。