“共同体”はシャミナード師の考えを理解する上でのカギであり、最も基本的なものの一つです。

  1. フランス大革命が終わり、1800年11月にフランス・ボルドー市に戻ったシャミナード師は、一ヶ月も経たないうちに最初の聖母会の集会を持っています。このことは、彼が追放の期間にフランスの教会の状態をよく把握し、どうしたら教会を再建できるかについて深く考えを巡らせていたことを示しています。彼のこころを支配していたのは“福音宣教”でした。教会の歴史を一瞥すると、教会の刷新や再建の使命を自覚した人々は、だいたい先ずそれぞれの修道会の創立に取りかかりました。しかし、シャミナード師は福音宣教をめざす「信徒の共同体」を創立しました。福音によって活気づけられた活力のある共同体に於いてこそ、信仰は最もよく成長し、実を結び、また人々に伝えられると理解していたからです。そのような共同体を通して、宗教的な無知と無関心の状態に陥っていたフランスの教会を再建しようとしたのです。
  2. 最初、若者のための聖母会からスタートした共同体は、やがて母親、父親のため、そしてあらゆる年令、職業、教育、身分、社会階層を含む男女の人々から構成される共同体へと発展していきました。大革命後のフランスの教会では、小教区の組織と構造は非常に脆弱になっていましたので、ある意味で、ボルドーの聖母会は小教区の代理の役割を果たしたのです。シャミナード師は“聖母会は教会のミニチュア、神の民のミニチュアであるべきだ”と主張しました。小教区が本来の姿を取り戻し始めた後も、彼は、「聖母会は教会の中に特別な存在理由があります。これは人々に、特に若い人々に、小教区では経験し得ない一つの体験、共同体としてのキリストの体験をする機会を与えるからです。」と言っていました。
  3. この共同体には次のような特徴がありました。
    1. 平等性: フランス革命によって命を狙われたにもかかわらず、その革命の標語であった自由、平等、博愛からも学ぶべきものを取り入れていました。まだ階級社会の名残をとどめていた当時にあっては、注目すべき点です。
    2. 多様性: 上記(2)で述べたように、誰でも自分の居場所をこの共同体の中に見出すことが出来ました。また、この多様性は、「その時、その場で、教会が必要とすることに取り組む」という活動の多様性をも意味しました。
    3. 信徒性: 福音宣教において、信徒が中心となりリーダーシップをとる。また、信徒の聖性を追求する。(この点については後でテーマとして扱います。)
    4. 共同体性: 個人としてだけでなく、むしろ団体として社会にキリストを証しする。“世に聖人の集団を示す”(シャミナード師の言葉)
  4. この共同体について、シャミナード師が非常に大切にした三つの考え
    1. 証し: 「このような共同体は、“今日でもなお福音をその精神と文字に従って全面的に生きうる”ことを示すことによって、聖なる民の証しをすることが出来るはずである。」これは、1838年に教皇に送った手紙の一節です。「福音をまともに受け入れ、これを生きることは到底不可能だ、もう意味がない」と主張する人が、合理主義の横行する革命後のフランス社会には多くいました。これに対して、シャミナード師は、「いや、そのようなことはない。福音は今でも意味があるし、完全に実践できる」と主張しました。そして、言うだけでは誰も説得することは出来ないので、実際に福音を生きている共同体によって“証し”をしようとしたのです。
    2. 魅力: 「この共同体は、その生き方そのものによって他者を惹き付けるでしょう。」使徒言行録2章、4章には、最初のキリスト信者の共同体に魅了された人々のことが記されています。同じようなことがボルドーの聖母会についても起こりました。事実、シャミナード師は初代教会の共同体を自分達の模範としました。聖母会のメンバーに会った人々は、彼らに印象づけられ、こころを打たれ、集会に出席して、入会を希望したのです。
    3. 拡大: 「このような共同体は、また新たな共同体を生み出します。生命の成長過程と同じように、このような共同体は掛け算的に拡大し、社会を再キリスト教化するための格好な手段となります。」