- シャミナード師は、サラゴサからボルドーに戻って間もなく、ローマより“教皇派遣宣教師”という称号を授けられました。彼はこの称号を切望しましたが、そこに彼の福音宣教についての考え方がよく現われています。彼は自分のことを“宣教師”として強く意識していたのです。現在、日本に生活している私達にとって、宣教師という言葉には「キリスト教を宣教するために外国から日本に来た人々、あるいは、外国へ出かけた人々」というイメージがありますが、当時のフランスでは、外国への宣教師という意味よりも国内での宣教師、あちこちの小教区を巡回しながら、黙想会などで説教し、人々に回心を勧め、福音を宣べ伝える人、というイメージがありました。
シャミナード師が自分のことを宣教師として意識していたのは、一義的には、外国への宣教師としてよりも、「革命によって疲弊してしまったフランスの教会を福音に基づいて再建するために、教皇から派遣された宣教師」としてであったと言えます。
- ただ、シャミナード師の福音宣教の方法は、上記 (1) に述べた宣教師の方法とは違っていました。当時の宣教師は自分があちこちに出かけていくというやり方でしたが、シャミナード師は福音に生きる共同体を創り、そこに人々を招き、そこで福音を生きているメンバーとの接触をとおして福音を宣べ伝えるという方法を取ったのです。それで、この共同体は影響力のある選ばれた人々によって構成されたグループというのではなく、ごく普通の弱さを抱えた人が信仰を生きることが出来るような深い兄弟愛に結ばれたキリスト教共同体でした。この共同体の基本的な目的は、共同体の外に出かけて福音を宣教することではなく、触れ合いを通して信仰を宣べ伝えるために、共同体の中で福音を実践し、それによって人々をこの共同体に惹き付けることだったのです。シャミナード師の考え方は、福音宣教のスペシャリストを養成し、彼らを非キリスト教化した大衆の中に送り込むというものではなく、むしろ、出来るだけ多くの人々に、暖かな兄弟愛に満ちた魅力的な共同体に生きている人々を指し示すことによって、人々をこの共同体に惹き付けることだったのです。
- 従って、シャミナード師が創ろうとしていた共同体は、使徒たちの働きの実りとして使徒言行録に描写されている初代教会のキリスト者共同体をモデルとしたものでした。その共同体では、ユダヤ教や他の宗教からキリスト者となった人々は、お互いに信仰を深め合い、福音的な成熟のプロセスを歩み、そして人々を魅了して仲間に加えていったのです。これらの共同体は、内から福音を宣教し外からは人々を惹き付ける真の永続するミッションであり、結果的に自分たちもまた福音化されたのです。
- 初代教会をモデルとしたシャミナード師の共同体は、実は、生き生きと活動する全ての小教区の理想でした。革命後のその当時、小教区は福音宣教をする力を失っていたので、フランスの教会を新しく再建する方法として、シャミナード師はこの共同体を創立したのです。革命によって荒廃し、疲弊してしまった教会を新しく再建する、現代的に言い換えれば、まだ存在しないところに新たに教会を存在させる、といった意識をもってこの共同体による福音宣教に取り組んだのです。
- 以上のような福音宣教の考え方を実践していくためにカギとなるのは、「共同体が本当に福音を生きているか」、「人々を惹き付ける魅力ある共同体であるか」と言う点です。革命によってキリスト教全体は疑問視され、意味のないものと考えられ、無視されていた当時のフランス社会では、抽象的にキリスト教を説明してもほとんど受け入れられなかったでしょう。しかし、実際に福音を生きている人々の証しは無視できませんでした。福音は1800年前と同じく今日でも文字通り生きられる、ということを共同体の模範によって証しすることがシャミナード師の考え方でした。ボルドーから始まった彼の共同体が当時のフランス社会に大きな影響を与え、教会を再建し、社会を動かす力となった事実は、この共同体が福音を実際に生きることによってキリストを社会に提示するという福音宣教を実践していたことを示しています。