翻訳者: 朝山宗路 

この翻訳を始めて、かれこれ8年近くになる。原著者のステファネリ師から薦められて着手したのが切っ掛けであった。しかし、片やフルタイムの仕事をかかえながら、余暇を使っての仕事であったため、予想したよりも長い月日を要してしまった。その間、このような仕事をしても、所詮、戸棚の埃をつくるに過ぎないのではないかとの思いに駆られ、幾度、止めようと思ったか知れない。しかし、その度に、心のすみで、「がんばれ、がんばれ」と励ましてくれる声を聞き、とうとう、今日に至ってしまった。もし誰かがこの本を読んで、この本の主人公と同じように、大きな使徒的精神に燃えてくれるならば、それに勝る喜びはない。

正直に言って、この本は、決して、読みやすい本ではない。アデルの手紙を中心に、種々の文献を繋ぎあわせたようなもので、小説のようにすらすら読めるものではない。ただ、この本の有難いことは、ちょうどジグゾー・パズルの断片を一つの絵に繋ぎあわせるように、そのものとしては余りわしたちに語り掛けてくれない種々の文献を、アデルの生きた時代背景に合わせて、うまく一つの絵に纏め上げてくれている、ということである。膨大なアデルの手紙を読んでも、ただそれだけを読んでいたのでは退屈するばかりである。それは、その手紙が書かれた時代背景と、その手紙の相手と事件・事物の繋がりが分からないからである。

文中にある括弧内の数字は、その個所に書かれていることがらの情報源(文献)の所在を示している。もし、原初にもどって研究したいと思われる方は、英文の巻末にあるリストに照らし合わせていただきたい。資料の出所が分かるはずである。翻訳書では、この資料編を省略した。ただ、文中の数字の中で、数字と数字の間にNの文字の入った個所(例えば、 (131N151)のように記された個所)に関しては、これを翻訳し、巻末に「特別ノート」として付加しておいた。読書中、この注釈にも目を通されることをお勧めする。これによって、その個所の背景がよりよく理解できると思う。

もう一つ、おことわりしておきたいことは、文中のフランス語の固有名詞に関する表記と発音についてである。まず、フランス語のアクサンを付けることが出来なかったこと、そして、発音の正誤を検証する暇がなかったことの二点である。訳者の至らなさと思い、お許しいただきたい。

ただ、このような不完全な翻訳書ではあるが、あえて時間をかけて纏めたのは、この本は読者にかなり正確なアデルの人間像を伝えてくれるものであるからだ。

アデルは、女子マリア会の創立者であると同時に、男子マリア会の創立者でもある。しかし、残念なことに、かの女はしばしば誤解されている。私自身、この本を読むまでは、かの女にたいして、かなり大きな偏見をもっていた。恥ずかしいことではあるが、それまでのわたしのアデル観は、勝ち気で、神経質で、虚栄心の強い、貴族の娘さんで、たまたまシャミナード神父と出会ったために、修道会を創立したに過ぎないという、きわめて浅薄なものであった。しかし、この本を読めば、年若く、か弱なおとめアデルの中に、エネルギーに燃えた使徒としての大きな姿が潜んでいることに気づかれると思う。どうか、偏見を抜きにして、読んでいただきたい。きっと、読者の皆様も、もう一つのアデルの姿を再発見していただけると思う。

(1997年1月10日、アデルの命日、横浜にて)